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新しい命




無事に女の子を出産しました。

初めての出産、様々なドラマがあり感動がありました。

記録として書き留めておきたいと思います。

すごく長いので、追記欄に記しておきます。





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「ひつじが丘」

今年の夏は異常に暑かった・・。

やっと涼しくなってきたこの頃、暇があれば読書に耽っております。

昔は夏休みの読書感想文が大嫌いでよくあとがきを写していたほどなのに(笑)大人になってから読書が好きになるとは分からんもんですなあ〜




最近は小説にはまっていて、大好きな三浦綾子さんの小説ばかり読みあさってますが、今回また心に残る作品に出会いました。








三浦綾子さんの小説って恋愛が絡んでいる事も多く、結構昼ドラ系のようなドロドロしたものもあるけど、その奥に人の心の深い闇が描かれていていつもハッとさせられる。


この小説の中で特に心に刻まれた言葉。

「愛とは赦すことだよ、相手を生かすことだよ」

本当にその通りだと思う。

色んな愛の形があるけど、究極の愛は相手を赦し、相手のすべてを受け入れ、生かすこと。

これはなかなか簡単なことじゃないと思った。

この小説の主人公の奈緒実も、最初は結婚を反対された両親に対し「私だって、一人の人を愛し通すことぐらいできます」と言って家を出たが、結婚後変わってしまった夫に対し残ったのは憎しみだけだった。

良くしてくれる相手を愛することは簡単だけど、自分を苦しめる相手を愛することは本当に難しい。





また、数多くの悲しみと試練を経て奈緒実が言った言葉がとても印象的だった。

「悲しみって命を滅ぼすほどのエネルギーなんですね。それに気づいたとき、わたしはハッとしましたの。これだけのエネルギーを他に使えないものだろうかって」

彼女の言っていることがとてもよく分かる。

悲しみ、憎しみ、恐れ・・・それらは私たちの心を蝕んでしまうほど強い負のエネルギーを持つ。
その強烈なエネルギーをプラスに転換しようと歩みだす奈緒実の真の強さを垣間みる瞬間。

強い人だなあ。

彼女のように歩めるなら、どんな苦難をもプラスにしていけるだろう。

そんな歩みをしたいと思わされた。






本も出会いで、良い本に出会えば出会うほど内側から変えられて行くものがあると感じる。

人生は「出会い」と「選択」によって開かれて行くんだなあとしみじみ。

また良い本に出会えますように。





すっかりご無沙汰してしまいました。

随分長い間ブログを放置してしまいました。
それでもブログに遊びにきてくださった方、ご心配くださった方・・・ありがとうございます。

詳しい事は追記欄に書かせていただきますが、2ヶ月ほど体調が不安定で今はだいぶ回復しつつあります。

まだお料理もきちんと出来る状態ではないので、更新回数も減るとは思いますが、温かく見守ってくださると感謝です。








という訳で、元気だった頃に撮った写真を載せます(笑)

私の祖父母の実家の徳島県からたくさん美味しいものが届いたので、その時の記録。

半田素麺と言って、素麺とうどんの中間のようなコシのある美味しい素麺です。
食べ応えがあるので、どんなアレンジ料理でも合います。







徳島で取れた筍とニンニクの芽を炒めて鰹節と醤油で味付けしたもの。

シンプルだけど食の進むおかず。









今回はざる素麺にして頂きました。
つるつるのどごしがたまらない。

ボケボケですが、奥に見えているおかずは、徳島にしかない(のかな?)フィッシュカツというもので、練り物をカツにしてカレー味で味付けしたものです。
スパイシーでとっても美味しくて、これまた故郷の味です。

徳島に行かれる際は、ぜひフィッシュカツ食べてみてください。








具が同じ・・・笑
ですが、こちらは旦那くんの大好きな塩ぶっかけ冷やし素麺。もちろん半田素麺で。

よく冷やした中華だしをごま油と塩で味付けたあっさりスープで頂きます。


あ、そういえば上に乗っている海苔は大野海苔と言って、これまた徳島の美味しい〜海苔屋さんの味付け海苔。
他で食べる味付け海苔とは違って、とっても分厚くてサクサクして味の濃い海苔です。

大野海苔はお土産にいつも買って帰ってきます。

美味しい徳島の恵みに感謝。









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ビジョン

 



とある調査によると(ものすごくアバウトですみません)、「もっと人生で色んなことにチャレンジしておくべきだった」と後悔をしている人が約70%を占めるそうです。


だからといって、何でもかんでも手を出してどれも中途半端・・・ということになってしまっては本末転倒。

チャレンジすることは大切ですが、そこには「ビジョン」が必要だと思います。

NHK大河ドラマの吉田松陰も弟子たちに「こころざし」の大切さを訴えかけています。



ビジョンとは、人の身体に例えると「骨」のようなもの。

骨がしっかりしていれば、どんなに転んでも倒れてもまた立ち上がって歩くことができます。

骨がもろければ、起き上がるどころか歩くこともできないでしょう。




それほど、ビジョンは人生において大切なものだと思います。

ビジョンを掲げて歩む人生はどんなに素晴らしいことでしょうか。

自分に与えられた使命を知ることこそ、人にとって最大の幸せかもしれません。





















見えない物を見て歩くのが信仰です

私は信者になるのでなく、無限の真理(愛)を学びたかったのです

見えない物をどう見るか

それがエネルギーとなって力になって、生命力になる

命といってもよくわかりませんが
その命が具体的に自分の体の中に血となり肉となって流れるくらいの力を持つにはどうするか

それを愛という
この愛を探していました

体の中からふき上がって、それが態度や言葉、行動となって表現する

それが人の心に素直に入って伝わりもする

このように愛は見えなくても、ある

そして愛は、欠点に蓋をして長所や良い面だけ見るという事ではない

全部ひっくるめたのが愛

紙も表と裏で一つ

欠点も長所も何もかも受け入れてすべて抱き込んでしまう


・・・・・・・


「マイナスもプラスに生きる」より抜粋
東城百合子著 



命を使う


今朝降りかかった悲しい現実。

真っ青に晴れ渡った空とは裏腹に、暗く沈んだ心。


なぜ人は殺し合うのか。

なぜ彼らは殺されなければならなかったのか。


「どうか無事に帰ってくる事が出来ますように。」

多くの人々の希望の光が闇に飲み込まれてしまった。



後藤さんはクリスチャンだと聞いた。

神を信じ、人々を愛していた彼は、あの恐怖の中で何を思い何を祈っていただろう。

教会の賛美の中で涙が止まらなかった。

なぜかわからないけど、「ハレルヤ」と最後まで神を見上げている彼の姿が頭から離れたかった。



死は悲しい。

しかし後藤さんは神を信じ、今は死に打ち勝った方と共におられる。

彼が願い求めていた平和の中で。






わたしは思う。

命は限りあるもの。

神が一人一人に与えた尊いもの。

錯覚してはならない。

「まだ時間がある」と怠けてはならない。

いつかその時が来る。

終わりがあるから、人は真剣に生きる。

真剣に生きるとは、やみくもに走り抜けるのではない。

ゴールが無いと、どこに走っていいのかわからない。

自分がここに置かれている意味を考え

どこを目指して行くのかをしっかり捉え

全力で進んでいく。

きっと後藤さんはそんな人だった思う。

彼の死はわたしを大きく揺さぶった。

狭い囲いの中で平和ボケしている自分が情けなく思えた。

生きる意味をもっと真剣に考えなければならない。

彼が自分の「使命」を全うしたように。

残された「命」だからこそ、真剣に「使」わなければならない。






共同体

 



新婚旅行で行ったハワイの写真をやっと現像しました。(フィルム)

これから少しずつメッセージを添えて載せて行きたいと思います。





結婚をして、取り巻く環境も、生活スタイルも変わりましたが、自分の中での「意識」も大きく変化したように思います。

それは、一人が二人になったこと。
つまり二人が一つの共同体として歩んで行くことです。

今までは一人で自由に好きな事を好きなだけやってきたことも、家庭という共同体を放棄してしまうと、たちまちバランスが崩れてしまいます。

もちろん家庭に縛られているという意味ではなく、共同体の中で生きるということは優先順位を有するということです。

「世界の平和は家庭から」

という言葉があるように、自分の存在する共同体の中で、まず自分自身がどうあるべきかが常に問われているように思うのです。


結婚して新しい仕事を始め、大好きなパン作りが難しくなる一方で、独身時代とはまた違った心の安定感があるのは、優先すべきこととやりたいこととのバランスを上手く保てているからかもしれません。

とは言いつつも、いつもやりたいことは山ほどありますが・・・笑


小さな格闘の連続ですが、大きな幸せの日々を感謝しつつ、楽しんで行こうと思います。














人は大切なものを手に入れると
それを手放したくなくなる 

そして手放さないように
ぎゅっと握りしめようとする

でもいつか気づく

どんなに強く握りしめても
指の隙間から抜け落ちる砂のように

自分の力ではどうしようもできないものがあるということ


そしてすべてのものは
自分が獲得したものではなく

神から与えられたものだということを




月と太陽




美しい月を眺めながら独り言のように呟いた。

「お月さん、好き」

昔は太陽のような人になりたいと思っていた。

太陽のように周りの人を明るく輝かせたかった。

だけどいつからだろう。

わたしが月を好きになったのは。

あの優しいけれども内に強さを秘めているあの光は

いつしかわたしの心をなめらかにしていった。

月のような人になりたいと願った。

太陽のように自分一人で光ることができないと気づいたから。

自分が光を放つのではなく、太陽の光を反射して暗闇を優しく照らしたいと。

その優しさの内に強さを持ち続けたいと。






突然、愛する人が隣で言った。

「君はお月さんみたいだよ」

わたしは目を丸くした。

「ギラギラまぶしい太陽じゃなくて、しっとりと照らすお月さんみたいだよ」

その言葉が優しい月の光とともにわたしの心を照らした。


もしわたしがお月さんだとしたら、太陽は誰だろう。

わたしに光をくれる太陽は、誰だろう。

答えが分かったわたしは、思わず嬉しくて笑った。






寝顔



彼に出会ったとき その内側に小さな影を見た気がした

小さいけどとても深くて 誰もそれに気づいていない気がした


彼にずっと笑って欲しいと思った いつも幸せと感じてほしいと思った

気づけば彼を心から愛していた




いま隣で無邪気な顔で眠っている彼

わたしに「ありがとう」と言った

一緒にいてくれてありがとうと言った



わたしは思った

この人の 過去も 今も 残されているこれからの時間も

その時の試練や傷から守ることはできないけど

すべて一緒に受け止めたいと

すべて愛おしいと



子供のように眠っている彼の寝顔を見つめながら

心からそう思った